自己抹消(死の欲動)と自己消去プログラムの発動

臨床における遍歴はまったくの個人的な回想に目を向けるのではなく、公表に至った文献において表出された事柄を手引きとするが、もちろんそれを一般に知られていない回想で補っていくことにはなる。

そして人間が絶対的なものに突入する時には、宗教的観念と政治的観念は収斂して一つになり、力の総体がそのどちらの欲動へ注ぎ込むかは、ほんのちょっとの視線の移動によって左右されるが、そのどちらの場合にでも、結果はこのうえなく驚愕すべき現象のひとつ、つまり自己抹消(自己消去プログラムの発動)である。

しかしここにつねに自己抹消があるからこそ利他主義も危うさの中に生まれ来るのである。

そして感情はそこでは決して独占権をもたず、その無言の見捨てられたあり方においてまた、欺くこともあるのである。

 

参考

「自然と精神/出会いと決断」    ヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼガー 著