演劇的(対話的)、あるいは抽象的な
観者に対し絵画は、おそらく没入するほど演劇的な関係と呼ぶものを、はやく確立しなければならなかったのであろう、と本書は言う。
なぜなら絵画は徐々に抽象性を増し「観者を中心から外す」意図を持たなければならなくなった、というのが訳者の伊藤氏の解釈でもあるからだ。
参考
「没入と演劇性」 マイケル・フリード 著
交流外交の数
天才は完成形でやって来る。
そこには男女の分別問題はなく、多くの人間と関わって来ていた姿がある。
「家父長制は無敵ではない」とは、まさにこのことである。
参考
「夢みる部屋」 デイヴィッド・リンチ クリスティン・マッケナ 著
『〈家父長制〉は無敵じゃない』 シンシア・エンロー 著
超越論的事実性について
すべては、「右と左」に分けて、「譲り合う交通ルール」にすぎません。
これは交じり合わない、「励起し減衰する」物理)すべての「輸送」を「暗黙の次元」で支持します。
なぜ上手くいくのか、それは自然界同様、全てが知らず知らずに譲り合っているからです。
キーワード:チョムスキー「文法」 カール・ポラニー「沈黙交易」 物語 交通(運動・行動) ギブ・アンド・テイク 贈与論 貨幣経済(交換経済) 互酬性(消費経済) 利他主義 東洋・西洋のパラレル的融合 「主観と客観」を超えたゲームルール ゲーム理論(双方向性) 経路依存性(リチャード・ファインマン)
参考
名著精選 「言語」 監修 福井直樹 渡辺明 著
「共振する異界」 永藤靖 著
「人間・西田幾多郎」 藤田正勝 著
傷ついた世界空間論
本文よりー
*戦争を歴史の「痛み」ではなく、「恥」と考える家父長的で非人間的な態度こそが、本当に恥ずかしいことなのだ。
*傷ついた歴史を治療できないまま、ただ古建築業者のように、その懐を修復で温めているだけではないのか。
*たぶん傷は依然として未完であり、造園が上手くいって花が咲き乱れていても、墓地は依然として悲しい空間なのである。
参考
「韓国スターデイーツアー・ガイド」 韓洪丸 著
自己抹消(死の欲動)と自己消去プログラムの発動
臨床における遍歴はまったくの個人的な回想に目を向けるのではなく、公表に至った文献において表出された事柄を手引きとするが、もちろんそれを一般に知られていない回想で補っていくことにはなる。
そして人間が絶対的なものに突入する時には、宗教的観念と政治的観念は収斂して一つになり、力の総体がそのどちらの欲動へ注ぎ込むかは、ほんのちょっとの視線の移動によって左右されるが、そのどちらの場合にでも、結果はこのうえなく驚愕すべき現象のひとつ、つまり自己抹消(自己消去プログラムの発動)である。
しかしここにつねに自己抹消があるからこそ利他主義も危うさの中に生まれ来るのである。
そして感情はそこでは決して独占権をもたず、その無言の見捨てられたあり方においてまた、欺くこともあるのである。
参考
「自然と精神/出会いと決断」 ヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼガー 著